佐村河内守 本名 高校 小学 両親 同級生の証言




今話題の佐村河内守の昔はどうだったのか?
同級生たちが証言!


佐村河内守氏は、1963年9月21日生まれ。

父・克成さん、母・洋子さんの長男として誕生した。

父は、米等の配達をやっていたそうです。



佐村河内氏が通っていた小学校の同級生が佐村河内氏のエピソードを語る。

まずは、作曲家としてだが、佐村河内氏の家でピアノは見たことないという。

怪獣ごっこ等をする明るい性格の子供だったという。


自伝によれば、4歳で母からピアノの英才教育を受けており、
「赤バイエル」というピアノ教則本でピアノをの上達をしていたそうである。

7歳でベートーベンの「悲愴」を弾くとなっている。

新垣隆氏が記者会見を行ったことで、自伝の内容が嘘であると明らかになった。


出身高校は、崇徳高校商業科にであったが、崇徳高校商業科には
音楽の授業さえないことがわかった。


また、佐村河内氏はバレー部の所属にいたそうである。
その後、英劇部に所属し、役者志望だったそうです。

髪型はリーゼント、映画が好きでセルフタイマーのカメラで着流しのシーンや
プロマイド風の写真を撮っていたことを同級生が証言している。


高校二年生の頃、親戚に石原軍団の小林専務がいて、

石原軍団に入るために家出をしたことがある。

結局、広島駅で取り押さえられて、連れ戻された。

石原軍団を退任している小林元専務からは、親戚にそのような人はいないと否定した。



佐村河内氏は、京都で1〜2年「大部屋役者」をしており、その後東京に進出する。

「速瀬守」という芸名でドラマに出演した経験がある。

1985年に放送されたフジテレビ「月曜ドラマランド」枠の単発ドラマ「まさし君」。

主演は風見しんご、佐村河内氏はチンピラ役で出演していた。

一応は、役者になったが売れなかった。


ロックシンガーとして、1988年5月31日付のスポーツ新聞に載った。

「第2の矢沢永吉 レコード9社で 前代未聞 佐村河内守に“せり”」

渋谷でレコード会社を招待して、「せり」のイベントが行われた。

作曲家の大倉百人氏が、当時佐村河内氏と会っている。

アレンジするから譜面を書いてくるように指示をしたが、

佐村河内氏は譜面が書けないと答え、コード譜でもいいと言われても

書けないと答えていたことを証言している。

佐村河内氏が口ずさんだ音を大倉百人氏が譜面に起こした。

結局、渋谷のイベントから数ヵ月で事務所がクビにした。


佐村河内守氏の本当の姿が明らかになってきた。

嘘を嘘で固めていることで、すべてが崩れていくのである。

真実は、佐村河内守氏と接触していた人たちの証言でみえてしまった。


2014-02-16 | Comment(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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